上様とわたし。

なんとかわいらしい、私だけの上様 Copyright by 吉永ふみ

クリエイティブに生きる

これからはクリエイティブな人生を生きることに決めた。

具体的に言うと、これからは毎日1個は、何か新らしいことを考える。

ツイートする。

ブログに書く。

漫画を描く。

絵を描く。

ことを決めた。

 

もともとは小学生のときから小説を書き、漫画を描き、歌を歌い、毎日どこか現実ではない自分の世界に私の心はあった。

大学院に進み、就職してから一切クリエイティブなことをしなかった。

私だけの、特別な世界はなくなり、気づけば100%、現実世界だけで生きていた。

それはなんとつまらない色あせた世界だった。

私は自分の特別な世界の中で生きなくちゃだめなんだ。

その特別な世界を現実世界に私は持ってきてあげよう。

自分のためにも、現実世界をつまらないと感じているほかの誰かのためにもね。

 

そんなことに気づいたのは睡眠障害で眠れなくなっていたときに、毎日のように夢を見ていたときだった。

私の夢には自分が出てこない。自分の知っている人も出てこない。

大体、宇宙空間だったり、地球ではないどこか異世界を舞台に、アニメのキャラクターみたいなキャラたちが出てきて映画のようなSFものが多い。

夢占いしようとしても自分も出てこないし現実と関連あるものは何も出てこないから占いようがないだろう。

これが指し示す物はただひとつ、私がこれらに飢えていること。

空前の、餓死寸前の、飢餓状態のなか、自分で自分にSOSを出したのだ。

夢はものすごく面白かったが起きたらすぐ忘れてしまった。

私はこの夢を漫画や映画にしたいと思った。

私にもまだこんなに、クリエイティブなものを考えることができるんだと思った。

昼間起きているから夢が見れないからって、寝ている間、こんなにも、私は夢を見て昼間のつらさを、無意識の私は補おうとしていたのだろうか?

 

私は自分をいたぶるかわいそうなことはもうやめることにした。

私が一番大事な私がやりたい創作活動を私はやるのだ。

そのためには気力も時間も準備もいるから、今やっている会社員はそのうち辞めるつもり。

人間にとって一番大事なのは時間だ。私はそれを嫌いなことではなく好きな創作活動に使います。今までできなかったぶんも、これからは。

 

ちなみに今日は、漫画を1つ考えて、キャラデザインをして、2話分のラフを描いた。

こんなに漫画を描いたのっていつぶりっていうくらいでした。

短いいい加減なラフなんだけどね。

ただ会社に行って帰って寝るだけの日じゃない、創作をした日って、すごい充実感だった。

話を考えるのが面白いの。こんなに脳使うことってないよね。

年を重ねたとき美しくありたい

 小泉今日子さんが「アンチエイジングという言葉が嫌い」と言っておられたという記事を見かけました。

 若さ信仰、若い方が良いという価値観は、年を取ることを否定的に捉えているように受け取れるからというような理由のようです。


 年を取ることは誰にも止められません。

 それを否定したくはないですよね。

 日本は、海外と違い、年配の女性の価値が低く見受けられがちだと思います。

 実際、若い女の子は、若いだけで皆綺麗なのですが、綺麗な30代、40代の女性って少ないと思います。

 芸能人レベルの美人だって、年を重ねて綺麗な人は希少です。ましてや一般人だと、全体のうちで存在する確率はとても低いです。

 ものすごい希少価値だと思います。


 それには色々な理由があると思いますが、一つの理由は、日本では年を重ねた女性が人生を楽しんでいるというのが少ないのだと思います。

 その一つとして日本の女性は仕事をして自立している人が少ないと言うのがあると思います。

 仕事に限らず、人は何かの社会活動に参加して外部からの刺激を受けなければ、老化とともに老け込んでいくだけなのだと思います。

 年を取るとその人の内面性、精神、意識のあり方が外見に強く出ます。

 若い時にはなかった成長し成熟した精神、他人への理解や思いやり、確立した自己というもの、実績、ファッションを含めたセンス、今までの苦労、それを乗り越えてきた生き様といったものを人生で重ねた人のみ、それらが外見を良くするのだと思います。

 自信や地位がその表情や態度にも出るでしょう。

 中身が若いときと同じままなら、誰だって若いほうがいいと思うでしょう。

 年を重ねてより美しい女性になりたいものです。

 そのために、家にひきこもって、自分を守ってくれる家庭の中だけの世界に留まらず、世間に出て色々な荒波に揉まれることも必要かなと思います。


 あ、私はひきこもったことはないですけどね。

夜と霧 を読んだ。

フランクルの夜と霧を図書館で借りて読んだ。

 

非常に面白い。 星★★★★☆(4つ)

ちなみに、★5は人類の残した究極の長編(たとえばカラマーゾフの兄弟)レベルにしかあげられない。この話はノンフィクションというのとあまり長くないので★4。

 

夜と霧とは、エリート精神科医フランクルナチスのユダヤ人強制収容所に入れられて、5%程度の確率で生きてもどってくるまでの、フランクルの視点から見た、こまごましたことの雑記と所見である。

 

この小説というかルポは非常に無駄がない。

フランクルはあまり自分の感情については書いていない。

このルポは恐らく強制収容所について書いたほかのどんなルポとも視点が違うし、これが作り物ではなく、ルポであるがために、筆者が、そして人間が、どれだけ醜く恐ろしい存在であると同時に、どれだけ純粋で、優しく、優れた存在なのかということを、悟らせられる、一冊だと思います。

 

たとえ強制収容所にいても、人間は、一日1かけらのパンをいつ食べるかということを楽しみに生きたり、他人を気にかけたり、お祈りをしたり、空を美しいと思ったり、愛している人のことを考えたり、今から死ぬというときに、この世の最も美しいものに気づいたりするのだった。

人間は美しい。同じくらい汚く醜い人間も、人間の中にはいるけれど。

人間とは、筆舌尽くしがたい、仮に神が人間を創ったとして、もはや神の想像の域を超えた、謎の存在であると私は思う。

 

このルポを読み、私も、強制収容所で、疲れきった死にかけのやせさばらえた体で、仲間によばれて外で見た夕焼けがとても美しかったときのことを想像した。

それは美しかった。

涙が出ました。

美しいのは夕焼けではなく、それを美しいと思った彼らの心だから。

美しいのは彼らだからです。

読書のススメと久々に読んだ「アンの娘リラ」感想その他。 

読書は良い。

子供のころはありとあらゆる書物を読み漁っていた私ですが、物を書いたり読んだりする仕事についたのもあり、社会人になってからは全く本を読まなくなっていた。

仕事で疲れ果て、仕事以外では脳みそを一切使いたくないと思い10年がたった。

同様に映画も見なくなったし絵画などの芸術作品にも触れることはなくなった。

 

最近気づいたのは、私が全く面白くない人間になりはて、子供のころには少しはあった、創造力のかけらもなくなってしまったことでした。

そして、それが自分の世界を狭め、人生を楽しくなくさせているということだった。

 

本は良いです。現実では周りに話が合う人がいなくても、本を開けば昔の偉人の知的な考えや詩人の描く景色で満たされますし、登場人物に感情移入して現実で味わえない感情に満たされ脳が活性化します。

 

色んな本を少しずつ読んでいるのですが、どうも飽きっぽくなっていて少しずつしか読めないときもある。

そんな中ふと思い立って、休日に「アンの娘リラ」を図書館で借りてきて読みました。

「虹の谷のアン」も借りたのだがどちらも面白すぎて一日で一気に読んでしまいました。

 特にリラが良い。読み終わるころには涙をふいたティッシュが山になっていました。

 なんて面白い小説なのだろう?

 完璧な作品かもしれない。

 子供のころ読んだ時は少し暗い話に感じたが、今読むとリラの純粋さやけなげさもあり、とても深いなと思います。

 モンゴメリの話は完璧に面白いと私は思うけれど、本当にこの人の話は理想的というか、現実にはないくらい、ちょっとうまくいきすぎという感じがある。

 アンの娘リラは、アンシリーズの中ではまだ比較的現実的なほうだとは思います。

 

 今「赤毛のアン」を読むと、アンってどう見ても発達障害だし統合失語症一歩手前かなという気がする。子供のときはなんとも思わなかったのだが。

 小説とは言え、アンに出てくる人物のキャラクターが少し気になってきたので独断と偏見で以下、分析してみた。

 

主人公 アン・ブライス

やせっぽちでみすぼらしい、不恰好なみなし子。

自分の赤毛が大嫌い。

かんしゃくもち(衝動的に怒ると何するかわからない。暴力もふるう)、口が悪く嫌いな人への罵詈雑言がすごい、そそっかしくドジばかり。

妄想癖が激しく独り言が多い。頭はよい。

なぜか、イケメンでエリートのギルバートに熱烈に愛される。

大人になると見ようによっては美人という域まで綺麗になる。(なぜ??)

最終的には専業主婦になり自分を愛する夫と子供達に囲まれ、家事育児は有能なスーザンにすべてしてもらい、村のゴシップに胸ときめかせるおばさんになるが、仕事もせず自分の理解者だけに囲まれた居心地のよい家にこもっていられるという、引きこもりにとっては最高の箱庭を手に入れるので発達障害も何も関係なくなる。

悪い人ではない。子供はみんな母親が大好きで一人もグレない。

普通はこうはうまくいかない。

アンの理解者 マシュー

バリバリの統合失調症児だったアンのすべてを愛し、受け入れた。アンが何をやってもアンの味方をした。非常に心が傷つけられて育ったであろうアンを癒した最初で最高の爺さんだった。

育ての親 マリラ

マシューの妹。マシューとアンを引き取った。

アンのまわりには、なぜかアンが悪いときであってもアンの味方をする取り巻きが多いのだが、その中で育ての母親であるこの人が、夢に逃げようとするアンに現実というものを叩きつけ、アンの目を覚まさせた功績がでかいと思われる。

しかし最終的にはかなりアンに対して甘甘になっていった感はある。

ギルバート・ブライス

アンの夫。子供のとき、怒り狂ったアンがギルバートの頭に石版をたたきつけて割った時から、アンを愛している、このシリーズ内の中で最も理解不能な男。

かなりもてるイケメンでのちに医者になるエリート。アンにはずっとふられ続けていたのにずっとあきらめず最終的には結婚した。

アンの何がいいのか?????

これだけで一大研究ができそうである。

誰からも好青年と思われるような、いわゆる普通の男でアンを好きになったこと以外には、全く語るべき特徴がない。

現実にはこんな男いないと思う。だいぶ作者モンゴメリの妄想や理想が入っているかと。

ダイアナ

子供時代のアンの親友。アンがなにをしてもアンのことを大好きだったというありえないくらいいい子。アンを否定することが一切ない。アンのいいなりとも言える。大人になってから、アンに結構悪気なくひどいことを言われているが気にしていないでかい器の持ち主。美人。

ジェム・ブライス

アンの長男。大人になり、戦争から帰ってきたときはまだ若いのに白髪が増え、足を引きずっていたようだが、他の青年にない威厳があって何か他の人とは違っていたとのこと。幼馴染の美人のフェイスと婚約する。

子供のころから母親に花束をつんできていた。のちに医者になり父のあとも継ぐ。

非常に息子としても青年としてもイケメンにかかれています。

ウォルター・ブライス

次男。中二病みたいなイケメン。(顔は親にも親戚にも誰にも似ていなかったらしい)戦死してしまう。感受性が強く詩の才能があった。

ナン・ブライス

双子の姉妹の姉。美人。

結構かわいいところがあったような気がするがエピソードを忘れてしまった。

イングルサイドのアンに書いてあるはずなので再読したい。

ダイ・ブライス

双子の姉妹の妹。おとなしく優しい。性格が良く人に優しい。母親にの赤毛がコンプレックス。双子のナンがいつも美人と言われ、母親には「ピンクを着せられる娘(ナン)がいてうれしいの」などと結構ひどいことを言われているのだが、グレもしないし、かんしゃくもおこさない。お父さんは昔のお母さんに似ているダイが一番のお気に入りなのだからそれですべてが帳消しなのか?

シャーリー・ブライス

三男。家政婦スーザンの一番のお気に入り。スーザンは子供達をよそに預けないといけないとき、シャーリーだけ自分のとこで預かったりする。他の子はばらばら。えこひいきがすごい。

シャーリーについてのエピソードはほとんどないのでどういう子か不明。

ギルバートは彼を見ると「自分の父親を思い出す」そうだ。大人しく無口らしい。隠れたユーモアを持っている。多分スーザンがしゃべりまくって育てたので無口になってしまったのだろう。出征のときスーザンにスーザン母さんと言った。泣ける。

リラ・ブライス

末っ子。兄弟の中で一番の美人らしい。というか村の中でも一番レベルの美人のようだ。

なんでこの遺伝子でそんな美人が生まれるのか????

ギルバートは多少イケメンとはいえ、リラは父親とは外見のタイプが違うし・・

「アンの娘リラ」では、勉学にも興味なく、子供も家事も嫌いで遊ぶことしか考えてなかった美人なだけの甘やかされた末っ子だったリラが、兄や好きな人が戦争に行ったことをきっかけに、やりたくない家事、育児、人間関係や社会活動に毎日真剣に立ち向かい大人になっていく。本当はとても優しく辛抱強い精神的に大人な女の子なんだということがわかる。そして若干ツンデレでかわいい。

 嫌でやりたくないこと、何もかも逃げ出したいときも、戦争にいった兄、世界で困っている人たちのことを思いすべてをこなし、誰にも怒りをぶちまけることもなく、悲しいときも腹のたったときも一人で消化した。

 気に入らないことがあると何をしでかすかわからないアンとは全然似ていない!!!!!!!!!!!!!!!!!

 自制心と社会性が意外とあるのでアンはどこで働いても3日と続かなさそうだがリラならどこでもやっていけそうである。

 

とにかく作者が女性なので女性キャラのエピソードが多く男性については適当で、何でギルバートがアンを好きになったのかとかも、理解不能なのですが、そういう現実じみてないところが、いいのですかねぇ。

面白いので皆さんもぜひ読んでみてください。

 

 

 

アスペルガーの妻がよく言う「定型」とは??

 最近、アスペルガーの妻でカサンドラ症候群です!という女性のブログをよく見かけます。

 アスペルガー症候群というのは発達障害の一種で、通常の発達をした「定型」の人とは考え方や行動が違う部分があり、旦那との会話がかみ合わず意志の疎通ができないことが長期間続くことにより、嫁がカサンドラ症候群という一種のノイローゼ状態となるそうです。

 アスペと一言でいっても、何がアスペで何がアスペでないのかは難しいと私は思います。なぜなら、嫁が嫌いなだけ、嫁との会話が面倒くさいだけの可能性もありますからね。

 しかしカサンドラの人のブログを見ていると、彼女たちの旦那は確かに「これはアスペだな」と思わざるを得ない言動を取っている人が多いです。

 しかし嫁も嫁だなと思ってしまうブログが多いです。

 まず、なぜこんなアスペどもと結婚したのか????

 これがまず一番わかりません。

 彼女らもそのことはよくブログで書いており、

「初めは変わった人、個性的な人だと思っていて自分と違うところや自分を持っているところが良いと思った」←???????????????

「最初はそこまででもなかった、わからなかった」←最初アスペじゃなかったなら、今はただお前が嫌われているから会話が成り立たないだけじゃないのか

 謎です。

 また、これらの嫁が言う「これが定型の私とは違う、否定型の考え方なのか。」という「定型」というのがよくわかりません。

 なんですか「定型」というのは。

 アスペはまるで人間ではないみたいな言い方をするのですが、これらのアスペルガーの妻のほとんどが専業主婦です。

 つまりアスペルガーに養ってもらっています。

 子供もアスペの稼いだ金でご飯を食べ学校に行っています。

 つまりアスペ達は否定型ながらも社会に出て働き、税金を納め、妻子を養い続けています。

 むしろ、彼女らのブログを見る限りアスペは比較的高学歴、高収入の人が多いです。

 すごい人になると、年収2000万というアスペがいました。

 一方、定型の嫁は社会人がとっくに起きて仕事をしている時間に起きて、子供の世話と銘打って、家にこもり旦那の文句に明け暮れ、(旦那のこと以外に自分の人生がない)社会人たちがまだ残業をしているであろう時間に就寝します。

 一日12時間とか寝てるんです。子供よりも寝てます。

 カサンドラの嫁は年収2000万の旦那が家事までも全部してくれても文句を言っています。

 私は人間は金を稼いでいるほうがえらいというつもりはありませんし、アスペは私も好きではありません。

 しかし、自分も毎日外に出て働いているからわかりますが、外で働いてお金を稼ぐというのはとても大変なことです。

定型であると自慢するのであれば、アスペよりも自分のほうが社会性があると思うのであれば、実際に社会に出てアスペより稼いでから言ってほしいものですね。

 なぜ定型なのに社会に出られないのですか?????

 

 社会に出れない(仕事が続かない、そもそも仕事をする気もない)人間はアスペとかなんとかの以前の問題で社会性がゼロだと思っているし社会的価値ゼロだと思っているの自分が社交的だとか定型だとかは少なくとも税金を納めてから言ってほしいんですよね。

 

 なのでカサンドラブログにはあんまり共感できません。